りんごの青

明日は明日で、昨日は昨日(還暦過ぎた女の暮らし)

祖母と母と娘

先日、写真の整理をした
多数のフィルムに埋もれて、すっかり忘れてしまっていた写真があった
手を止めて、いちいち写真を見てはニヤニヤしてしまう

私が長女を出産したのは30年以上前の11月の末だった
当時の私は、小さな会社でIT関係の仕事をしており、主に公的機関の電算課に出向していた
産前産後の休暇を取った後、翌年の2月には仕事復帰した
2世帯住宅の1階に住む母が子どもを見てくれると言ったので、保育園には預けなかった

仕事を終えて、ただいま~と玄関から上がると左手に母宅に入るドアがある
私たちの住まいは、玄関の上がり口からまっすぐ階段を上る
母宅のドアを開けると、ドアのすぐ向こうで、いつも長女を抱いた母が出迎えてくれた

その日、どうして自分がそういう行動を取ったのか分からない
玄関を入った私は何も言わず、そのまま階段を上がって2階に上がってしまった
2階に上がって、荷物を投げ出し、しばらくぼんやりと座っていた
その日は何だかとても疲れていた

しばらくして母が娘を抱いて2階に上がってきた
どうしたん?Aちゃんが、ママが来ないから泣いてしまったよ
ごめん、ごめん、と娘を受け取った

そんなことがあって、母は私の心配をして、それまで以上に娘の面倒を見るようになった
しばらく経ったある日
ただいまと帰宅し、娘を2階に連れて行こうとしたら、娘が母ともっと居たいよと泣き出した
そんなことは初めてだった
一瞬、私と母の間の空気が微妙なものとなった
2人ともその状態に戸惑った
そして私は、そこで傷ついた顔をしたのだと思う
ママ(私)が娘にとっていつもいつも一番の存在であるとは限らないのだと、その時に悟った

その数日後、母は宣言した
預かるのは私が仕事に行っている間だけ
土日は一切預からない、夜も
夫婦でなんとかしなさい

最初はそのつもりだったのに、私はいつも間にか、夫よりも母に甘えるようになっていた
忙しいからちょっと見てて、買い物行くからちよっと預かってと

母は具体的なことは何も言わなかった
ただ自分はあくまでも控えだよと私たちに示した

娘たちが小学生になる頃には、彼女たちの世界は外に向かって広がって行き、家の中においては上下階を好きに行ったり来たりするようになった
一歩引いた母だったが、それでも娘たちが学校から帰宅した際に、いつも母が家に居てくれるというのは心強かった
手作りのおやつを用意してくれたし、宿題を見てくれた
寒い日には「寒かったねえ」とこたつに招いて、娘たちを温めた

祖母として、母は最善を尽くしてくれたと思う
いろいろぶつかることの多い私と母ではあったけど、娘たちの母親ぶりを見るにつけ、母の孫育てには感謝している